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18きっぷで帰省1日目 2001/08/06

 

○はじめに

この旅行記の旅行メモが、実家から自宅への回送中に郵便事故に遭ってしまい、紛失してしまいました。従って、時刻表と旅行貯金通帳を照らし合わせながら思いだしで書きますのでご了承ください。

○113系大垣夜行

この旅行ではなるべく18きっぷを使うべく、朝早くから切符を有効にするつもりだ。幸いなことに、この時期はムーンライトながらの救済運用として、快速の大垣夜行が運転されている。18きっぷが利用できる東海道線下り列車の始発はこの列車だ。この時間は、地下鉄はおろか、JRすら動いていない。従って、名古屋駅まで徒歩で行くことにする。400頃家をでる。

道は十分に把握しているが、何しろ遠い。途中、朝食をサークルKで調達していたら結局名古屋駅に着いたのは450であった。実に50分もかかったことになる。名古屋駅の改札は500着の急行ちくまに併せて開く。そのため、駅の入り口はすでに開いていた。何しろ人がいないコンコース。なかなか気持ちがいい。中央改札の有人改札からいよいよ5日間にわたる帰省の旅が始まる。早速、18きっぷを取り出して改札の駅員に渡す。この旅行で使用するのは、先日、北陸本線の高月で買ってきた、常備券、いわゆる赤い18きっぷだ。一瞬迷った駅員は、1回目…ですね。といって、きちんと1回目のところにスタンプを捺した。18きっぷの常備券がJR東海で売られなくなってすでに数年経っている。5枚が1組になるいぜんは、JR東海でも常備券を扱っていた。名古屋の隣の尾頭橋にも常備券があったとどこぞのHPで見たこともある。

無事に1日目の効力を発生した18きっぷを持ち、6番線へと進む。まだ時間があったので、先ほど調達した朝食をとる。そのうち、113系10連が入線。今シーズンから登場した、113系の大垣夜行運用。近郊系(3扉セミクロス)ということもあり、その手の利用者にはかなり不評をかっていた車両である。しかし、10連で来るとさすがの迫力。ドアが開くと、まったりとした人々が降りてきた。そのスキをついてドア脇の席を確保。下り大垣夜行に乗ったことは今までにないから比較のしようがないが、113系でも18きっぷを利用した安旅行の人々はそれなりにうまく利用していることに感心した。ただ、座席数は他の形式に比べると絶対的に不足しているはずであるが。驚いたのは、小学生低学年くらいの子供を2人つれた家族連れがいたことだ。ただでさえ寝にくいと言われる大垣夜行だが、そこに家族連れで乗るとはアタマが下がる。そもそも、何も知らずに大垣夜行を選択したとすれば、非常に気の毒だ。18きっぷシーズンのMLながらの救済の意味合いを知っていないと、はっきり言って地獄な列車だと思う。まぁ、時刻表を見ただけでは何も分からない。まして、18きっぷの存在を知らないひとだっているのだ。

無事に大垣までは座れることになったので、うつらうつらしていく。大垣まではいくつかの駅に停車するが、各駅にはホームに設置されている電光掲示に大垣夜行も表示されている。そういえば、名古屋駅での表示は、「快速」だったのに対して、途中駅では「臨時」という表示も見受けられた。電光表示の入力は駅に任されているらしいことが分かる。しかも、大垣夜行の種別を「快速」としていいのか。JR時刻表を見ると、ムーンライトながらには列車名に[快速]が見受けられるが、この9375Mには何もかかれていないのだ。そこまで細かく詰めても仕方がないということなのだろうが、すこししっくりこない。

○ラッシュ?

大垣到着が近づくと、車内がそわそわしてくる。もともと、名古屋からも座れないと読んでいたsky-dは大垣からはさすがに座れないだろうと思い、あきらめていたのだが、大垣夜行に乗り慣れている人たちは車両を移動して、跨線橋の近くのドアに移動していくからだ。こういうときグループ旅行は強いと思う。

到着すると、グループの代表部隊が勢いよく跨線橋へ上っていく。驚いたことに、接続の大垣602発は3両編成だった。乗り切れるのか?自分も最後部へ向かい、なんとか乗り込む。確実に座れないが、この列車を通勤に利用している地元の方はいささか迷惑そう。そりゃそうだ。列車は気持ち遅れて発車した。覚悟していたとはいえ、徹夜明けの体に立ち乗りはきつい。米原が近づくと乗り継ぎ案内の放送がある。乗っている列車は普通列車の網干行きだったので、大阪まで接続列車を全然考慮していなかったが、実は米原から新快速につながる。他の人たちも乗り換えるコトは自明だが、早く大阪に着きたいこともあって、乗り換えを決定する。早いし、乗り心地もこの115系よりはましだろう。

○特急並の快速で大阪へ

案の定、乗り換えた新快速も座ることが出来なかった。しかし、非貫通の車端部を確保して、そこにへばりついていくことにする。車内は大垣夜行から乗り継いできたひとが大半をしめており、一様に疲れ切った様子。京都をすぎると、スピードも増し、阪急と競争になる。非常に快適な速さである。体がいっぱいいっぱいになったころ、ようやく大阪駅に到着。

大阪には809に到着。大阪中央郵便局による他は、特にすることもないので、駅周辺をぶらつく。通勤時間帯なので人が多くてあまり歩いていてもおもしろくない。大阪中郵のATMコーナーでDLをして、局内に入り、貯金窓口が開くのを待つ。番号札発行機がそのうち稼働し、先に待っていた人に001を譲って、番号札は002となった。郵便窓口は24時間営業しているので、郵便を差し出す人たちがひっきりなしに訪れてくる。また、電子郵便局の端末もあったが稼働してはいなかった。残念。カウンター内では朝礼が始まり、900になって局員がそろってカウンターで挨拶があったあと、受付開始。通帳には、1日の富山中央に続いて、中央郵便局が2局並んだ。

○福知山線も大盛況

貯金が終了すると、座席確保のために再び大阪駅に戻る。乗車予定の列車は、925発丹波快速篠山口行きだ。2番線には、すでに乗客が並んでいたが、座れないような列ではない。その列に加わって、電車がくるのを待つ。夏休みということもあり、子供連れが多い。まぁ、自分も夏休みだからこうして旅行が出来るのであるが。920定刻に入線してきた電車は、扉が開くと同時にすぐに座席が埋まった。自分もなんとか座席を確保して、これからの1時間は確実に座っていける。車内はにぎやかだが、前日からの徹夜と大垣からの立ち乗りが響いて相当疲れている。先ほど、キヨスクで栄養ドリンクを飲んだのにやはり効いてはいない。周りの景色が山になったころ、睡眠グー。

篠山口では1分の乗り換えがある。1分とはいっても、接続をとる列車であることは時刻表で明らかで、それほどあわてる必要もない。向かい側のホームで待っていたかワンマン改造された115系3両(だったと思う)に乗り換える。ワンマン改造といっても、車掌が乗務していた。この列車で席が確保できたかは、忘れてしまった^^;。確か定刻から数分遅れて発車したと思う。篠山口からは駅間が広くなる。快適にとばしたかかすらあまり覚えていない。よほど疲れていた。1時間ほど揺られると、1129福知山着。

JR福知山 JR福知山駅。国鉄時代の要衝。

1147発の山陰本線園部行きに乗り換え。車内は思ったよりすいていた。余裕で座れる。しかし、この列車に揺られるのもごく僅か。すぐに1159綾部に到着する。綾部でも乗り換えは5分。急ぐ必要なし。

○原発銀座へ

1204に電車は綾部を出発。ほとんど寝ていたが、電車は無事東舞鶴に到着。橋上駅舎だ。一応改札を出て、郵便局の位置を確認してみるも、駅からたしかに郵便局は見える位置にある。ただし、18分の乗り換え時間でなんとなく間に合う気がしなかったので、おとなしくホームで列車を待つ。ここから東は小浜線となるのだが、まだ非電化区間である。いま一生懸命電化工事をしているところではあるが。それにしても、何故小浜線と舞鶴線の切れ目が東舞鶴なのだろう。宮津線の接続点は西舞鶴だし…。

そのうち、気動車が入ってきた。形式にはあまり興味がないので、覚えていない。1252発である。結構混雑していてびっくりした。この列車も、ワンマン対応ではあるが、車掌が乗務している。同じボックスには、海水浴に行くらしい外国人の家族が同席。小浜を抜け、左手に三方五湖を望む。小学生の頃は、家族でこの美浜町に海水浴に毎年来ていたので見覚えのある景色もいくつかあった。小浜線沿線には、高浜、大飯、美浜、もんじゅ、ふげん、敦賀の各原子力発電所がある。小浜線の車窓からはそれらを望むことは出来ないが、時折、小浜線の頭上を500k,275kVといった大きな送電線がクロスしているのが分かる。小浜線沿線だけで、関西電力の半分の電気エネルギーを作り出しているという主要地帯。敦賀には4分程度遅れて1453頃到着。

改札を出るのもめんどかったので、地下道を通って乗り換えのホームへ向かう。敦賀発1505の419系電車に乗る。かつて寝台車として使われていた電車を改造して近郊用にしたため、天井は高くシートピットは広い。各ボックスが個室みたいな感じになっていて、非常に乗り心地の良い電車である。窓は小さいが。これから越美北線の往復という大作業が待ちかまえているため、再び就寝。

○お祭りきぶんな福井

1553に福井に到着。なにげに人が多い気がするが、いちおう県庁所在地ではあるしこれがふつうかと思う。福井駅は改良中で、ホームからメインの改札までの距離が異様に長い。駅構内から直接ステーションデパートに入る改札が設置されているのも興味深い。そこにいた係りの人が、JR西日本の社員の人かは忘れた。考えてみると、昼飯を食べていなかったのでおなかがすいていたが、先に郵便局を探して軽く走る。

福井大手郵便局は、駅前を右手にしばらく行ったところにあった。時間が時間なので最後の方は一生懸命走ったので、局に入っていたときには息を切らしていた。しかし、このアットホームな感じの郵便局は久しぶりだった。まず、待合室にあった冷蔵庫から麦茶を飲みなと差し出してくれる。非常にうれしい。局員の方の話だと、今日は福井で祭りがあるらしい。花火も上がるとのことで、是非見ていくようにと勧められる。通帳上は、50600円なのだが、実質的にこの郵便局が500局目である。自分でも気がつかなかった。重複している局と、1局で500円を預け入れたことがあり、局数と預入金額が整合していない。調整しなくてはいけないなぁ。そんな郵便局を後にして、再び福井駅へ。 福井駅では立ち喰いそばがあったので、食べていくことにする。越美北線の終点、九頭竜湖に何かあるとは思えないからだ。冷やしそばを選択する。名古屋でいう「ころ」というそばみたいな感じで、冷やしたそばに冷たいつゆがかけられ、その上に、山ほどの削り節。削り節は、扇風機の風でひらひら舞っていきそうなくらいだった。カウンターの幅に対して、店員がかなり多い。きっと祭り対策なのだろう。

○ローカル越美北線

1620をすぎた頃、越美北線のホームへと向かう。盲腸線のローカルは、駅はずれのホームから出発することが多いのだが、越美北線も例外ではない。ただし、乗客は予想以上に多く、ボックスはすでに満席となっていた。仕方なく、ロング部に座り発車を待つ。どこかのPTAの団体が乗っていて、にぎやかなおばちゃん達が笑っている。

周囲には田圃しかない越美北線は快調に進んでいく。越美北線の基地がある(とおもう)越前大野。ここで大半の乗客が下車。ボックスがあいたので移動する。このあたりから、列車は平野部から山の中に入っていくことになる。越前下山を過ぎ、長いトンネルを抜けると、終点の九頭竜湖である。ここで下車。折り返しの電車は、20分後に発車する。18きっぷ利用者と思われる人がもう一人降りる。九頭竜湖といっても、本当の九頭竜湖までは数キロあり、駅前に湖があるというわけでもない。気持ち的には、「九頭竜湖口」かな。無人駅の殺伐とした駅を想像していたが、町が駅周辺を整備しており、駅窓口も業務委託として、西日本のPOS端末がはいって営業していた。レイルウェイライターの種村氏風に言うと、「敬意を表して」、POS端末の入場券と、乗車券を購入しておく。

JR九頭竜湖 JR九頭竜湖駅にて。駅前は道の駅になっており、きっぷうりばは、町への業務委託。

元々、越美北線は、岐阜の美濃太田からのびる越美南線と接続する予定だった。 越美北線はいままで乗ってきた線路、越美南線は長良川鉄道として三セク化された。越前大野以南の乗車率からみて、今後の存続がぁゃιぃ。

この折り返しの列車が、九頭竜湖から福井行きの最終列車となる。乗り遅れないように数分前から乗車。先ほどの18きっぷ利用者と思われる人も折り返すようだ。もうひとりの乗客を乗せ3人で九頭竜湖発車。再び長いトンネルを抜けて、越前大野に向かう。

越前大野には、1913に到着。次の列車は福井向けの2028最終列車で、1時間強の時間がある。この時間に銭湯へ向かう。駅の裏に「白山湯」という銭湯があることを事前にネットで調べてあるのだ。駅裏といってもかなり大回りしないと踏切がない。しかも、街頭が非常に少なく真っ暗である。その中で、5分くらい歩くと無事明かりのついた銭湯を発見した。北海道の時もそうだったが、温泉が供給されていない、いわゆるふつうの銭湯は、どこも閑散としている。存続は大丈夫なのだろうか?と心配になる。

さっぱりしたところで、夕食が欲しくなる。大野市では、吉野家とか松屋とかは期待できないが、それにしても何もなかった。その中で、一軒だけ明かりがこうこうとしているファミリーマートで弁当を調達。それをもって再び駅へと向かう。緑の窓口はすでにしまっていたが、待合室のテレビはついていた。待合室はあまりにも明るくて、虫がたくさん飛んでいたので、そのままホームへ出て、飯を食べることにした。20時頃、福井方面から列車が来て、また九頭竜湖の方へ去っていった。

JR越前大野 JR越前大野駅にて。市制を敷いている割には、駅が小さい。やはり、主要交通手段はクルマ。

その後、列車が回送されてきた。2026の福井行きである。これを逃すとまずい。

○京福電鉄代行バスで

祭りが終わった福井駅には人がたくさんいた。越美北線に乗る前に食べた立ち食いそばは人だかりが出来ている。今夜は、福井在住の先輩であるG3氏の家に泊まらせていただくことになっている。そのためには、京福電車、正確に言うと、京福電車の代行バスに乗る必要がある。半年で2回も正面衝突事故を起こし、運行停止処分となっている京福である。乗り場は駅の裏手にも関わらず、表側に出てしまったため、地下道で反対側に向かう。しかし人が多い。

京福乗り場を発見し、電車時代に使われていたであろう券売機で切符を購入。数台のバスが止まる中、目的のバスに乗り込んだ。祭りの後ということもあって、乗車率はかなり良い。浴衣のおねぇさんも多い。使われているバスは、ハイデッカーの観光バスだった。運転手の他に、車掌が一人乗務していて、途中から乗車する客の精算、降車する人に手を挙げてもらったりしていた。しかし、「大変ご迷惑をおかけします」から始まったアナウンスは非常に丁寧で、さすがにあれだけの事故を起こしてしまったという責任がそうさせているのだと思う。三国の祭りに伴う運休のお知らせなどをしていた。バス代行なので、道路状況が悪い祭りなどでは運休することになるらしい。定期券の乗客には、延長措置がとられるという。当然といえば当然か。

G3氏最寄り駅のバス停には、すでに迎えに来てくれていた。いったん、G3氏の家に荷物を置かせていただき、ラーメンの屋台に二人で向かう。途中で京福の踏切をわたったが、信号などには明かりが入っているものの、レールはさびてしまっており、長い間列車が走ってないことを伺わせる。電車のこない踏切では、車はきちんと一旦停止して安全確認。ラーメンの屋台は塩ラーメンだった。

その後、G3氏宅に戻り、ネットでメールを見させてもらったりして、早めの就寝である。明日も早い。

 

翌日へ

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