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春の旅行 1日目 大阪へ 2002/02/28

 

○山口行きのいきさつ

今回の旅行も、ANAの超割に合わせたものにした。どうせ1万円ならマイルを稼ごうと思い、山口宇部から千歳へ飛ぶことに。当初の計画では、山口まで18きっぷで行くことにしていたのだが、なんと18きっぷの通用開始が3月1日からという事実を、恥ずかしながらチェックせずにいた。従って、山口宇部までどのように行くかがまず問題に。

候補としては3つ。1つ目は、3月1日当日、東海道・山陽線をのりついで行くというモノ。2つ目は名古屋から福岡まで空路で行き、そこから山口入りするというもの。最後は阪神圏からフェリーで門司まで行くという候補があげられた。旅行のしょっぱなから18きっぷでのそのそ行くというのも気が引け、空路もいくらスカイメイトを使ってもやはり高い。ということで、夜行フェリーに乗ってみたいという気持ちも相まって、フェリーの選択肢を選んだ。利用できる可能性があるフェリーはいくつかあったが、そのうちで一番安かった、名門大洋フェリー(大阪南港→新門司港)を利用することにした。この時期は閑散期なので、柔軟な予定変更にも耐えられるよう、予約はしないことに。

○早速大阪へ

朝のバイトが9時上がり。10時の近鉄に乗るべく名古屋駅へせかせかと。かつて、947の新幹線に乗ったことがあったから、時間的には余裕はあると踏んでいた。あらかじめ金券屋でアーバンライナーのデラックスシート回数券のばら売りをおさえて置いたので、近鉄名古屋駅の窓口で指定席と引きかえる。デラックスシートは初めて。後輩で大阪に住んでいるヒロリンが、「近鉄はデラックスシートですよ〜」と言っていたのを聞いて、次こそはと思っていた次第。デラックスシートは1号車と2号車。そのうち、禁煙車である2号車の4A席が配席された。近鉄は、デラックスシートはJRと同様の数字+アルファベットで席番が決まる。一般車は、数字だけの通し番号だ。

駅の売店でおにぎりを購入。早速ホームへ。近鉄名古屋は頭端式のホームであるので、発着本数を稼ぐためにぎりぎりにならないと列車が入線しない。955頃ゆっくりと入選し、乗客が乗り込む。デラックスシートは3列シートだ。1人掛けはだいたい埋まっているが、2人掛けはガラガラ。荷物をまとめ終わらないウチに発車。朝、自宅から持ってきた新聞を読んで過ごす。奈良の山奥からは寝ていて、起きたらすでに大阪に入っていた。

○大阪ですること

大阪ですること、献血、旅行用品の買い物、トザキへのおみやげを買う。主なモノはこの3つだ。近鉄難波で改札を出て、先ずは南海の改札方面へ。残り少ないスルッとKANSAIを買いに行くためだ。途中のコインロッカーに荷物を放り込んで、南海の改札にたどり着く。金額はいくつかあったのだが、2k円のを購入。南海のカードはコンパスカードというようだ。

○日本橋献血ルーム

そして、地下街をひたすら東に向かって歩いて、献血ルームを目指す。かなり歩いたところで、なんとか案内板を見つけ、そっちのほうに進んでいくと、いつも通り、ぁゃιぃ場所に献血ルームは存在した。血ぃ抜いてる人は、2人しかおらず、待合室には誰もいなかった。直ぐに献血手帳を差し出すと、あっという間にプリントアウト。問診票に記入する。職員サンのカウンターで記入する。どうも見られているような気がしてこの方式はイヤなのだが、まぁ仕方がない。直ぐに問診に呼ばれ、血圧と脈拍を測る。どちらの値も幾分高めだったのだが、おじいちゃんの問診医は、まぁ寒いからでしょう。ということだった。

次に採血。実は献血は2ヶ月くらいブランクをあけていたので久しぶりの採血となった。「いつもどっちから検査してます?」と言われたので、左手と答えておく。「両腕でもいいですかあ?」とおっしゃるので、快く返事。採血室にはアミカスがいたことだし。これで、スペクトラに回されたらイヤだったけど。

飲み物を飲んでマターリしていると、採血室からお呼びがかかり、予定通りアミカスに回される。アミカス久しぶりだ〜。ナースの人はとても話し易くて、久しぶりにいろいろと話をしてしまった。お約束、名字の話から始まって、今旅行の途中であるということ、今夜フェリーで九州へ行くということなど。そしたら、そのナースさんも、昔フェリーで九州へ行ったことがあるようで、ああいうところで寝付けるようになったら一人前ですね。なんて話をしたりする。さすがに、翌日北海道へ上陸するとは言えなかった…。

それと、気になったのが、このルームの静けさ。いつもこんなに空いているのか尋ねたところ、今日は特別だということ。雨が降っているし、さらに地下街の外れにあるので、ドナー集めには結構な苦労があるのかもしれない。梅田の阪急グランドビル25の話し。僕は行ったこと無いが、あそこはいつも人でいっぱいですね(^^)。とおっしゃっていた。途中で看護婦さんがお昼休みに行ってしまったので、代わりのナースさんが来た。同じような話をしているうちに、献血終了。

ちなみに機械は、アミカス2台、スペクトラ1台、KL-1011台、後はCCSだった。それと、待合室にはアーケードゲームのぷよぷよが。

処遇品をもらって献血ルーム退散。さて、次は旅行の買い物だ。

○久々の心斎橋

こういう選択が正しいのかは分からないが、最寄りの地下鉄日本橋から堺筋線、鶴見緑地線と乗り継いで心斎橋へ。心斎橋では新型の改札機に、スルッとKANSAIを2枚差し。煩わしい精算機を使うことなく、新カードに乗り換え完了。目的地は東急ハンズである。なぜか地下街から直接連絡しておらず、いったん地上にでて1階の入り口から入るという構造。買ったモノは、携帯用シャンプー、ボディーソープ、歯ブラシと、あと旅行メモ用ノート。携帯用のいろいろは、どこかにしまい忘れていたためだった。朝気づいたので、仕方なく旅行開始後に買うことに。まぁ、たまにはこういうのでもイイでしょう。

東急ハンズを出ると、となりのあさひ銀行で久しぶりのあ銀巡り。心斎橋支店。かなり混んでいてちょっとタイムロス。殆どの人がATMで振り込みしていくもんだから、やたらと時間がかかる。みんなネットバンキングをしよう。そして裏手にある、大阪南船場郵便局で郵貯。雨が降っていたので、意気消沈して、大阪での巡りはこれだけにしておく。

なぜに久々の心斎橋かと言えば、心斎橋にある、ホテル日航大阪に関係が。4年前、高校のクラス旅行でここに泊まったのだ。僕がこれまで泊まった中で一番豪華なホテルだ。プレステを同じ部屋の友達が持ち込んで一緒にゲームをしたり、向かい側の部屋の友達が、中に鍵を置いたまま廊下に出て閉め出されたり。この旅行は、幹事をやらせてもらって、副幹事のMと朝イチでレストランにいった洋食バイキングは、ものすごく旨かった。他の人は、前日の夕食バイキングがたたって、和食に行く人が多かったのだが、この洋食の選択はいまでも正しかったと思っている。そういったいろんなことがこの心斎橋であったのだ。当時から変わらないのが、私の旅行好きなこと。

さて、再び地下街に潜って、ソニータワービルへ。エスカレータで1階に上がると、右前にはパルコ店、左後ろにはソニータワー店があった。かなりの至近距離に2店のスタバ。トザキへの土産は大阪タンブラーにしたのだ。パルコはそこそこ混んでいた気がしたので、ソニータワー店へ。早速大阪タンを包んでもラテ、席が空いているのを確認して、トールドリップを注文。カウンター内ではバリスタの方々が大阪弁でやりとりをしていて、なかなか微笑ましかった。ドリップを受け取って座ったテーブルには、VAIOが設置されていて、さすがソニータワー店だと思った。ネット自由かとおもったら、ソニー関連サイトに制限がかけられていて、さらに、キーボードにはアクリルパネルで被いがかけられていた。とはいえ、なんとかSo-netのサイトにたどり着き、ニュースを読んだりしてマタリ。

1530ころ退出。いったん難波へいき、荷物を回収する。雨が降っていたので地下鉄で。

○フェリーターミナル

荷物を回収して、再び地下鉄へ。千日前線、中央線と乗り継いで、OTS線へ乗り入れ。コスモスクエアで乗り換えて、フェリーターミナルを目指す。自動運転のニュートラム。かぶりつき席をゲットして、楽しむ。ゆりかもめほどは面白くなかった。そして、思いのほか、臨港部の住宅開発が進んでいて、大きなマンションが建ち並んでいた。そして、窓からはいくつかスタバを発見する。

フェリーターミナルに到着すると、何人か下車。ながい歩道橋を渡って、ターミナルへ。名門大洋フェリーの乗船申込書に記入する。船があぼーんしたら、これが基になって連絡がいくから慎重に記入(笑)。学割を利かせて、4720円。ながいながい歩道橋をあるいて、はずれのF5バース。

階段の手前に立っているおじさんに乗船券を手渡していざ乗船。1630ころだったが、結構乗船していた。亀氏から「二等は早く乗り込んで場所確保しないと。」と言われていたが、一通り二等船室を覗いて、一人の乗船客がたくさんいた一番入り口側の部屋の隅を確保。本を読みながら待っていると、そのうち5,6人のグループが、ビールのハコを担いで入ってきた。「こりゃうるさそうだ」と参っていると、そのうち、「あっちの部屋が空いてるぞ」といって行ってしまった。ふぅ。一安心。

1740定刻出港。

○フェリーきょうと

本日の船はフェリーきょうと。一応、デッキに出たりして満喫しておく。そんな事をしていても寒いので、部屋に戻って読書の続き。航路案内図によると、1900ころ明石海峡大橋を通過とのことだったので、それまでは部屋でじっとしている。

1850ころ、アッパーデッキに出ていくと、すでにあたりは真っ暗で、風が強い。そんななか、前方にライトアップされた橋が見えてきた。これはすさまじく綺麗で迫力がある。写真に収めたいが、レンズに入りきらない。おまけに暗くて足場が安定しない。目に焼き付けるしかないのだ。かなりの感動の後、後部に橋が小さくなっていった。周囲には、船がいくつも浮かんでいる。

すると携帯にメールが。今回、大学から呼び出しがあったら、旅行を途中で中止して帰らなくてはならなかったが、その可能性が小さくなったというメール。目出度いので、レストランへ。カフェテリアで一通り選んで1000円強。こんなもんか。レストランは、トラックのおじさんたちがみんなで集まって飲んでいた。どう見ても持ち込みの酒。常連なので、フェリー側も黙認状態なのだろう。食べ終わると、入り口ロビーにいって、大学の友人に電話。船舶電話を利用して、かけてみた。遅延は0.25秒。そんなに気にならなかった。

部屋で横になってうとうとしたりしていると、消灯時刻2130となった。とたんに眠くなくなり、ひたすらボケーっとしているしかなかった。2240頃、そろそろと風呂へ向かう。風呂はおじさんが一人いたが、直ぐに出ていってしまい、ゆったりと独り占め出来る状態になった。船が傾くと湯がこぼれたりするのだが、当たり前なことなのに、なぜか面白かった。そんな風にすこし長湯。外は何も見えなかった。結構四国よりを航行しているみたいだ。

入り口ロビーでは、眠れない人々がテレビを観ていた。ちょうどニュースの出来事をやっていたり。酒をかって、テレビを観ながら一杯。これでなんとか寝られると良いのだが。

翌日へ

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