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旅春の旅行6日目 青森県内 2002/03/05

○波乱の幕開け

起きたらなんと、640。完全に寝坊なり。

気を取り直して予定の練り直し。花輪線を捨てるか、津軽線を捨てるかの決断。盲腸線である津軽線を残すと、あとあと厄介になる可能性がありそうだったので、はつかりで青森へ出て、当初の計画に合流することに決定。710にチェックアウト。

とりあえず、前日に取得したあけぼの号の立席特急券の払い戻しに。C制なので、発行窓口でしか払い戻しが受けられない。まぁ、昨日MEM-4から出してもらったが、きょうはMEM-3に通され、払い戻しの手続き。カードを再びリーダに通して、手数料210円が引かれて払い戻しの扱いが無事受けられた。他にやることがないので、反対側の出口に出てみたりもしたが、特に何も無し。ホームへ。

時刻表には815入線となっていたが、まだ余裕はあったので、ホームでそばをすする。NREのそばだった。キヨスクで飲み物と新聞を購入した後、乗車口でならぶ。そのうち、列車が入ってきて、折り返しの車内清掃を待った後乗車となった。座席は余裕で座れる。826発車。

○八戸新幹線

はつかりの英語表記は、SuperExpressではなく、一般的なLimitedExpressだった。

普通に行けば、回りは何もないようなトコロなのだが、時折左に、時折右に新しいコンクリートの高架がちらちらする。もうすぐ新幹線が八戸まで延伸されるのだ。八戸では、立派な駅舎がすでに完成していた。開業すれば、はつかりの名も無くなるようなので、乗れて正解だったかどうかはよく分からないが、このリニューアル車が余剰となるのは勿体ない。

浅虫温泉などは、昔ながらの温泉街のような雰囲気がしていて、なんともな雰囲気だった。いま、列車にのって温泉へ出かける人など、そうはいないような気がする。浅虫温泉をでると、まもなく青森に到着。若干遅れている。

○津軽半島へ

青森駅では郵便局探し。駅前分室があったはずなのだが、駅前再開発により移転した模様。分室は諦めて、ぱ・る・るプラザ青森内郵便局で貯金。3人待ちだったが、振り込みの人だけで、スムーズに終了。ついでに旅行資金をDLして再び駅に戻る。はて、この郵便局ができたおかげで、分室は廃止になったのか?

ホームの自販機で爽健美茶を買って、快速海峡号に乗り込む。カーペットカーはすでに満席状態で、仕方なく座席車へ。座席車は禁煙じゃなかったので、煙たかった。自由席が結構埋まっているのには驚いた。トンネル用の案内表示板が設置されているのは特筆すべき事項か。1108発車。

丁度退屈してきたところで、蟹田に到着。駅前に出てみたものの、タクシーが9台くらい止まっているだけで、あとは何もない。防災無線が整備されているのが海の近くらしい。郵便局の位置だけ確認。再びホームへ戻り、普通列車を待つ。

普通列車は高校生達でいっぱい。中小国からは、立派な路盤をもつ海峡線が分離していき、津軽線はなにもなかったようにローカルな路線を進む。津軽二股は、海峡線の津軽今別を隣接している。これも妙な駅なのだ。ただ、実用性はかなり低いような。特に津軽今別の方は。各駅停車がまたもやうんざりしてきた頃、三厩に到着。一応スタンプ台と駅ノートがあったが、有人駅ゆえ、終着駅の哀愁というものがそれほど感じられなかった。いや、本来の終着駅というのは、三厩のような駅な筈ではあるが。

駅前には、村営バスが列車の到着を待っていた。いろんな人のJR完乗記を読んでいると、この三厩がその終着駅となったひとが多数いるらしい。まぁ、私は丁度折り返し点くらいだと思うが。

1303に折り返しの列車は出発。県道のモニタリングポイントでは、気温が6度で北東の風2メートルと。それほど寒くなさそうではある。海も穏やか。再び中小国では、車窓から、JR北海道とJR東日本の境界標を確認することができた。写真に収めることには失敗。うーむ。

1340蟹田着。来るときにチェックしていた郵便局へ。デイリーヤマザキがあったのだが、なんと中華まんをやっていなかった。というより什器すらなかった。というわけで、駅に戻ると、キヨスクに中華まんがあった。謎だ。

1409蟹田発。今度は、カーペットカーはガラガラだったが、座席車は結構埋まっていた。蟹田を出てから海がみえるから、昼間のカーペットカーは下段がイイかも。っていうのは山育ちの意見か。1434青森について、1419のはつかりへ急ぎ足で乗り換え。

○下北半島へ

野辺地着。駅前には簡易があるのだったが、いくら探してもない。と思ったら、通りが一本違っていたようだった。野辺地駅前簡易郵便局。再び駅に戻って、きつねそばを食す。ここもNREのそばだった。これだけ続くとさすがに厭きる。何が具材かなど、見る楽しみが減るじゃないか。

1541野辺地発。大湊線へ。地元客もそれなりに居るが、旅行客も結構いた。線路際の防雪林の松が海にむかって斜めに生えている。陸奥湾にそっておよそ50分。大湊に到着。もう少し線路が延びていてもイイ感じがする。太陽はすでに沈んでしまったので、VIEWカードをはじめとするパンフを何枚かもらって、再び帰りの列車へ。出張帰りのおじさん達も結構いた。改札は発車2分くらい前から始まったのだった。

下北で車内が大方埋まり、再び野辺地に向かって走り出す。車窓の砂浜には、ハイマツの苗が植えられていた。浸食が深刻なのか。なんて思ってみる。1807野辺地着。

○本日の消化試合

野辺地からはかつて南部縦貫鉄道のレールバスが発車していた。跨線橋も、意味ありげに途中から封鎖されており、JRのホームからは、雪の積もったホーム跡を見ることができる。これを見ると妙に淋しい。1807にはつかりに乗り、座席を確保したところで、携帯にメール。M∀RU氏からだった。シベリア鉄道でヨーロッパへ入り、その跡ドイツ周辺を回って関空についたのだった。無事に帰ってきましたか。これから、羽田へ飛ぶ模様とのこと。

盛岡に到着し、駅前地下の書店で文庫本を購入。新幹線ホームへ行き、ひっそりとした待合室で駅弁を食べる。今回の旅行の中で最初で最後の駅弁だ。古代米弁当とかで、米が石油みたいな味がした。僕は現代人だ。

今晩の宿である大曲へは秋田新幹線で。Maxなどが入線してくるなか、最終の秋田新幹線も定刻に到着した。2037発こまち5号発車。殆ど満席だった。

2132に大曲に着いたものの、駅前のJCはすでに閉まっており、こんなに需要があるのかと思われるくらいたくさんある居酒屋だけが開いていた。こう考えると、飯田の方がまだ都会だ。さっさと寝る。

 

 

翌日へ

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