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春の旅行7日目 いよいよ三陸へ 2002/03/07

○久々の出会い

545起床。NHKをつけたら、福岡と和歌山から中継。どこかで見たことがあると思ったら、4年くらい前は長野局にいたアナウンサーだった。

○久しぶりの昼行急行

630にチェックアウト。大曲駅へ。710発のこまち4号に乗車。予想に反して難なく座席確保。なにやら数字の羅列を真剣に見て、会議資料にでも目をとおしているんかと思いきや、一生懸命ナンバーズをマークしているおじさんが居たのにはちょっと笑った。雫石あたりから雪が降ってきたがまぁ大丈夫だろう。809盛岡着。連結作業が終了したあと、ドアが開く。

急行陸中は6番ホームから。入ってきた普通列車がそのまま急行になるみたい。とりあえず最前列に座席を確保。出発後、快調にとばしていた急行だったが、花巻空港駅で動かなくなった。列車無線が入ってくるのが聞こえるが、ATSのチッコンチッコンの音で何を言っているのかよく分からず。結局、7分くらい止まっていた。降っていた雪は、次第に雨に。

花巻からは進行方向がかわり、釜石線に入る。新幹線からの乗り換え客がたくさんいた新花巻を過ぎると、ローカルな駅をどんどん通過。1102に釜石に到着

○第三セクター三陸鉄道

霧雨が煙っている釜石は、結構寒かった。転車台の残る構内から、1120、原敬の我田引鉄であるという山田線が発車。寝ているとあっという間に宮古。1237。駅の横にいきなりサティがあったのには驚いた。郵便局へはしばらくあるいたが、この町にも満足な歩道がなくて、結構辛い。歩行者は結構居たように思うが。

肝心の郵便局は、集配局な割りに、局舎が古いままだった。窓口が3つあいていて、直ぐに順番は回ってきたものの、結構複雑な手続きをしていた人が多かったような気がする。処遇品は、あぶらとり紙。その後、宮古信金の宮古駅前支店でDLを。OMRONの筐体だったが、インターフェースは、よく見るタイプのものだった。

駅に戻って、そばでも。と思ったが、なにやらスタンドは満員だった。

JRの駅とはJCを挟んで一線を画した三陸鉄道の宮古駅へ。人があふれんばかりにいた。自動券売機があったのだが、手持ちが万券と5千円券しかなかったので、窓口で久慈までのキップを所望した。すると、硬券が出てきた。久慈まで1800円だったが、1800円の硬券をかったのは、ものすごく久しぶりだ。思わず、「300円も硬券ですか?」と聞いてしまった。もちろん購入。三陸鉄道の収入に少しでも硬券。なんちて。兎に角、駅員の人は快く売ってくれた。さらに、様々な特殊キップのポスターがあったが、これは後述。

改札が開き、1両編成の列車は直ぐに満員になった。車両最後部のロング部に座る。ここにもポスターが。

全国でいち早く3セク化に踏み切った、三陸鉄道。経営努力は相当なもので、地元の「マイ・レール」意識も相当高いという。それが、この乗車率にも現れている。キップの種類もかなり豊富で、ポスターで見かけた分を次に記述しておく。

・18きっぷ旅行者用フリーきっぷ
・シルバー回数券
・通院回数券
・昼間回数券
・金額式回数券
・団体乗車券
・グループ往復割引きっぷ
・ファミリー往復割引きっぷ
・日曜祝日フリーきっぷ

18きっぷは当日の通用が無かったため買うことができなかったのが残念。沿線の人が乗りやすいように、様々な設定があるというのが嬉しい。

トンネルが多いものの、時折車窓からみえるリアス式海岸の湾内にできた集落では、防潮堤と防災無線が、かつてからの津波との戦いを物語っている感じだ。雨が降っており、海は荒れ気味。車内のトイレでは、高校生が隠れてたばこを吸っている。こういう光景はどこでも一緒だが、煙たいのはゴメンだ。

終点の久慈につく直前に高校生の集団が乗り込んできて、車内は一気ににぎやかになった。そのまま久慈到着。

○もう消化試合?

三陸鉄道のホームからは、跨線橋を渡ってJRのホームに繋がる。JRのホームへの降り口には、三陸鉄道の社員が立っており、きちんとキップの回収をしていた。よかった。300円の硬券買っといて。

1442、キハ40の3両編成が発車した。いや、八戸線ってタブレット閉塞だったのか。途中駅の停車時間が結構長く、雪の中駅員がタブレットの授受をしていた。さらに、腕木式信号機までは、当たり前なんだけどワイヤーが繋がれており、メンテナンスも大変そうだ。

鮫からは、JRの社員とともに警察が乗り込んできて、乗客をチェックしている様子。緊急配備ってやつなのか?1635八戸着。

雪の降る中、八戸のホームで待つ。数ヶ月後には新幹線が入ってくる筈の八戸駅。現在東北本線である部分は、どうなってしまうのか。この旅行最後のはつかりは、1645に発車。若干遅れ気味。

なんて、悠長に構えていたら、1755に遅れて盛岡に到着した。はつかりがやまびこ24号の接続列車となっている関係上、新幹線への乗り換え改札が開放されていて、駅員が急ぐように指示している。結局、1801発のやまびこ24号は、3分ほど遅れて発車していった。

初めて乗るオール2階建て新幹線。Maxやまびこ102号一応東京行きに乗る。階段部分は意外にも広く取ってあり、ちょっと驚く。2階をセレクト。26Fという席に座ってみる。さすが、通勤用な感じ。リクライニングは利かず、隣に人がいたら、若干窮屈な感じをうけそう。やっぱり車内販売はカートじゃないんだ。大変そうな。

1847一ノ関に到着。駅前のローソンで若干買い物をして、駅ホームのそば屋でうどんを食べる。ここはNREではなかった。わーい。

1943発の盛行き。外は真っ暗で完全な消化試合状態。気仙沼に着く直前には、3人しか列車に乗ってなかった。しかも気仙沼の駅前には何もなかった。今晩泊まるサンルートがあるだけだった。ロビーの自販機でビールを買って、テレビを見ながら就寝。旅行も残すところあと2日だ。

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