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JR東海完乗帰省@ダイヤ乱れ 2002/01/03

 

○数十年ぶりの大雪

新年早々、東海地方は大雪に見舞われる。そんな中、本日はJRを使って帰省の予定。塩尻を回ってJR東海を完乗するという予定もある。出発前にはインターネットで情報収集。高速道路やJR、新幹線にも大きな影響がでているとのことだが、キップもすでにおさえてあり、インターネットのJR東海運行情報によると、中央本線には遅れがないようだったので、出発を決める。ただ、自宅最寄り駅からの出発を変更し、急遽名古屋駅からの乗車にし、どの程度乱れているのかこの目で確かめることとする。

M∀RU氏から、383はやっぱりグリーン最前列でしょう。という話を訊いていたため、グリーン最前列をわざわざ指定してグリーン券もとってあるのだ。ちなみにグリーン券、中津川から塩尻までが94.9キロで、ちょうどいい具合に100キロを割って、値段も手頃になる。完乗の最終列車はグリーンで。なんとも贅沢でいい感じである。

○とりあえず名古屋駅へ

とりあえずバスで名古屋駅に行くことになる。時間は当初の予定より1時間程度早めた。なんだかんだいって中央線だって遅れているだろうという読みだ。道路は塩カルをしっかり撒いてあるらしく、雪はかなり溶けている。しかし、それでも脇道にそれれば圧雪状態になっている訳で、そういう中でも名古屋のドライバーはノーマルタイヤですっとばす。あぁ恐ろしい。途中、名古屋高速のランプがあったが、案の定通行止めとなっていた。高架道路は、除雪しても雪をおく場所がないので、直ぐに通行止めになってしまう。まぁ、今日の場合は通行止めでアタリマエだけど。

名古屋駅に着くと、まずはディスポのコンタクトを買いに、エスカへ。途中新幹線改札を見たが、かなりの遅れをもって運行されているようで、さらにUターンラッシュと重なってものすごい人がいる。エスカで用事を済ませると、その後は、信州方面行きの高速バスが運行されているかを確認するために名鉄BCへ。岐阜県内の中央道が通行止めではあるが、間引き運転で対応しているとのこと。下道も混んでいるから相当な遅れが考えられるが、繁忙期ということで、運行はさせているのだろう。とりあえず、JRが死んだときのための伏線は張れたことになる。

その後、再び名古屋駅へ。構内放送で、旅行の中止をおすすめしている。希望者には、キップを無手数料払い戻しする措置がとられているようだ。自分的には、塩尻まで出てしまえばなんとかなりそうな感じだったので、旅行の中止はするつもりはないし、手数料を無料にしてくれたところでどの程度の人が旅行中止を決めるのかはなはだ疑問ではある。。中央改札から構内に進入し、とりあえずセントラルライナー(CL)のホームへ。

○とりあえず中津川駅へ

313系8000番台はホームにいたが、電光表示がぁゃιぃ発車時刻の列車を示していたので、一般の中央線のホームへ行ってみる。たまたま通りかかった運転手にセントラルは動いているのか尋ねると、ひょっとしたらすでにCLは運休かもしれない、まぁ、動いていても整理券は要らないよとのこと。1103発の中津川行き快速が、313系でホームに横たわっていたので、それに乗って発車を待つことに。向かい側のホームは、211系でこちらも快速がホームに横たわっていた。どうやら、後者が先発のようだ。その発車を待ってから、こちらの中津川行きが1203に発車した。60分の遅れ。しかし、当初乗車予定だったのが、1230のCLだったので別にどうってことなさそう。バッグから、ヲークマンのイヤホンよろしく、実は、無線機のイヤホンを取り出してきて、列車無線を傍受。情報はこれで早く入手ができる。まぁ、電波法にふれるのでどんな情報が得られたかはここには書けないけど。

快速2連発であるので、直ぐに前者に追いついてしまい、かなりの減速運転や徐行運転があった。特に多治見の直前ではしばらくトンネル内に止まっていた。あ、以前から、トンネル内で列車無線が本当につかえるのか疑問だったけど、実際に使えるのを確認。あたりまえっちゃアタリマエだけど。多治見を過ぎると、列車無線のチャネルが変わってしまったので、傍受は終了。あとは中津川までおとなしく過ごす。

○中津川大混雑

中津川からは、予定では1344発のしなの19号に乗る予定であった。が、電光表示によると次発しなのは15号らしい。つうことは、2時間弱遅れていることになるようだ。ということは、予定の19号に乗るには、4時間待たなくてはならんのか?!夜は用事があったので、そうするわけにも行かず、乗変をすることに。しかし、みどりの窓口には凄い勢いで列が。15号が入ってきたら乗車する予定で列の後ろに着く。しかし、何度も言うが、Uターンラッシュと重なっているためにものすごい人がいる。そして、少ない駅員の数。乗客に対応し切れていない。

それから、特筆すべき事項として、いいなかライナーが発車待ちをしていた。コレに乗ればあっというまに実家なのだが…。まぁいいさ。

○そしてラストラン

そのうち、2番線にしなのが到着する旨の放送。さっさと列を離れ、跨線橋を駆け上がり、1号車に駆け込む。こういう場合、規則的にはどんな扱いかは分からないが、こっちだって、遅れる訳にはいかないし、中津川で変更を受けようとしたが、間に合わなかったという理由がある。検札の時に車掌にその事を申告しなくてはならないが、さてどうなる事やら。JR東海の未乗区間は、中津川−塩尻の区間。最後の区間にこうドタバタがあったがまぁ、仕方のないこと。

あいているグリーン席に腰を下ろす。しかし、木曽福島を過ぎてもいっこうに車掌が回ってこない。寝覚の床や併走する国道19号を眺めて楽しんだりしていると、結構車窓が楽しめる路線であることが分かった。しかし、みなさんに、この区間を残していることを教えると、なぜ?という答えが返ってくることが多かった。一応長野県内だし、乗ったことがあってもおかしくは無かったと自分でも思うが。

木曽らしい木曽はそれほど続かず、やがて松本平に出、車掌は結局回ってこずに、1434頃塩尻到着。これで、JR旅客各社の中で初めて完乗を果たす。まぁ、営業キロはJR四国についで短く、さらに殆どが幹線であるゆえ、順当といえば順当か。遅れは105分。正規のキップを持っていたとしても、払い戻しは無いようだ。下車すると直ぐに業務放送があり、2015Mカレチ向けの放送で、8Mの発車待ちをしてからの出発とのこと。発車待ちの放送が駅構内放送でされるのはいささか珍しいような気もするが、JR東海と東日本の接続点だから、乗務員交代やら、無線の切り替えやらでその方が手っ取り早いためなのか。兎に角、「カレチ」というタームを使って放送をしていたので、非常に強く印象に残った。橋上駅舎の塩尻駅だが、駅前は閑散としており、一応途中下車はしてみたものの、これといったものは無かった。中央東線のホームへ移動。そうしていると、もう一本しなのが入ってきた。しなの17号である。先ほど乗ってきたしなの15号の直ぐ後ろを走ってきたと言うこともあり、こっちのほうが若干空いていた感じ。

○東海地区の遅れをズリズリ

あとは、中央東、飯田線経由で帰るのみ。塩尻以北は、しなのの遅れの影響で若干ダイヤに乱れがあるとみえ、これからのる1455発の高尾行きは塩尻で後続のあずさ64号を待避するダイヤになっているが、今日ばかりは、松本からあずさが先行してくる模様。あずさも数分遅れて発車していった。まぁ、首都圏の過密ダイヤに突っ込むわけだから、運行者としてはなるべく遅らせたくないだろうが、この分だと大丈夫そうである。高尾行きもその後到着。なんとか座ることができて一安心。まぁ、トンネルを抜ければ直ぐに下車であるが。塩嶺トンネルを抜けると長野道の下をすりぬけ、するするっと岡谷に到着。

乗り継ぎを予定している飯田線の列車は発車時刻が過ぎているが接続待ちをしているようで、ホームに降り立つと直ぐに乗り換えの案内がある。地下道を通って飯田線の列車に乗り込む。高校時代のクセで、一両目の後方のシルバーシートについ足が向いてしまう。高校の時は、毎朝この席で通学したモノだ。シルバーシートっていってもお年寄りはみなボックスを目指すし、他にも大方席が空いているから問題はない。1515に発車。遅れは6分。飯田線でこれなら余裕で回復しそうだ。実際、伊那市に着く前には定刻に戻っていた。

○途中下車印

実家最寄りの某駅に到着すると、すでに窓口を閉める準備をした駅員がキップの回収をしている。しかし、100キロ以上のキップは途中下車ができ、今回は、名古屋市内→名古屋市内という片道切符のため、実家に滞在するのも途中下車扱いということになるのだ。ご多分に漏れず、この駅も業務委託されており、国鉄OBの方がやっておられる。「途中下車です」というと、キップを凝視し、直ぐに奥に行って途中下車印を取り出してきたのには驚いた。というか、ちゃんと途中下車印が配備されていたことにもちょっとばかり驚く。下車印が捺されなくなってきている傾向にはあるが、こうやって率先して捺してくれる駅員がいることがまたよいもの。途中下車印は記念にもなるし。

まぁ、兎に角、キップがここまで使われたことが示され、実家へと歩いて行く。その後は、高校のクラブの人達と食事会へ。

 

翌日へ

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