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NY・チリ・ボリビア11日目 2005/03/17

Calama & San Pedro de Atacama

○バス降りる

朝起きたら何もないところを走っていた。carisも起きたり寝たりでこっちも同じく。そのうち、車掌の兄ちゃんが食べ物と紅茶を持ってきた。紅茶はデフォルトで甘く、食べ物も無いよりはマシな感じのモノ。7時を過ぎると強制的に全員起こされ、紅茶と食べ物が配られる。そして毛布と枕も強引に集められる。日本のバスとはちょっと違う。そのうち大きめのバスターミナルに車が入り、ここがカラマだった。乗車時に受け取った荷物控えと引き換えにバックパックを受け取り、さて出陣。

Rising of the sun.

いくら日本より快適な座席のバスでも、夜行明けは夜行明け。気だるい。ターミナルに地図があったので確認してみると、どうやら歩き方に乗っているTur Busのターミナルとは違う場所に着いてしまったらしい。参ったな。

○チュキカマタへゴー

とりあえずカテドラルをランドマークとすれば地図との整合性が取れるため、通りかかりのおばちゃんに聞いてみる。すると、理解してくれたのかどうだかしらないが、完璧なスペイン語で話されて我々理解出来ずに苦しむ。とりあえず、バスターミナル前の道をどっちに向かって歩けばいいのかくらいの情報を得て、歩き出す。それでもまだもうちょっと情報が欲しいので、今度は学生3人組に話しかけてみた。すると、この女子学生は、一生懸命英語で説明しようとしてくれたので、かなりの情報を得ることができた。距離感がイマイチ掴めなかったけど、地図上のだいたいの位置関係は把握できた。

チュキカマタ鉱山は世界有数の銅の採掘量を誇る。そこへ行くには、コレクティーボを拾う必要がある。逆に言えば、コレクティーボ拾えばカラマでの目的は達成なのである。カテドラルへの道を歩いていくと、歩き方に載っている黄色のコレクティーボが何台か走っていく。空車のコレクティーボ拾えれば、わざわざ市内にあるコレクティーボ乗り場まで行かなくても済む話である。で、黄色の車が来たので、手を振ると止まってくれた。「チュキカマタ?」「シ。」ということで、チュキカマタへと無事向かえる。

Colectivo for Chuquicamata.

コレクティーボは来た道を戻り、バスターミナルも通り過ぎ、途中で女の人と男の人を一人ずつひろって計4人の客を乗せて爆走。砂漠の真ん中のまっすぐな道を爆走。遠くには鉱山らしき山々があり、だんだんと近づいてきた。すると突然建物が多くなって、運転手が何か訊いてきたので多分場所だろうとおもい、「トゥール」「シ。」ということで、ツアーの建物の前に停めてくれた。

○ガーン

ツアーの建物には受付のお姉さんが一人いる。歩き方によるとツアーは0930から。しかも「遅れないように行こう。」とまで書いてある。が、なにか様子がおかしい。受付のお姉さんは英語しゃべれるらしいので、carisが聞いてみると、「今日のツアーは13時と14時よ。」とおっしゃる。

今日はサン・ペドロ・デ・アタカマへ行って、しかもウユニ行きのツアーを探さないといけないのだ。午後まで時間の猶予は無い。泣く泣くツアー諦めである。シュン。

折角来たからということで、街を歩いてみることにする。銀行とかLANのオフィスとか一通りの街になっていて、昔の炭坑街といった感じがする。とはいえ、生活水準は思ったより高い街のような気がした。標高は既に2000メートルを超えており、なんか息苦しい。あまり走りたくない。

Copper mine.

帰りのコレクティーボ拾って、バスターミナルへと向かう。

○サン・ペドロ・デ・アタカマへ

コレクティーボでバスターミナルへつけてもらって、Tur Busのチケットを購入。歩き方にはTur Busがアタカマへバス出しているとは書いていないが、ロンプラにはちゃんとその旨書いてある。やっぱり歩き方だけに頼って旅行するのは危険だ。Tur Busは1015という直ぐのバスがあり、それに飛び乗ることになった。

夜行バスよりはグレードの低い座席だったが、乗客が少なかったため広々つかって行くことができた。でも殆ど寝ていく。サン・ペドロ・デ・アタカマへ到着すると、Tur Busのオフィスが見え、その先の広場でバスが止まった。降りると客引きがものすごい。いくつかチラシをもらいつつ、その中で一人の声をかけてチラシを渡してきたおばちゃん(というと失礼なくらいの若さ)。一生懸命に説明してくれるなかで、carisが「歩き方に載ってる。」という。そのページをおばちゃんに見せると、スゲー感激していた。まぁ、いいだろうということで、ここに決める。他にも女の子のパッカーが4人くらい一緒の車に乗っていく。宿はHostal Mama Tierraというところで、この宿のことを「ティエラ」と呼び、ここのママを「ティエラママ」と呼ぶ。

スイス人とシェアルームだった。シャワーやトイレの説明を受けて、ランドリーサービスがあるということなので、洗濯を頼んでおく。自分で洗わなくていいからラク。ティエラママにお勧めの旅行会社を聞いてみる。

部屋に戻るとスイス人が帰ってきていた。彼もウユニへ行って帰ってきていて、頭痛が激しいといってクスリを買いに行っていたようだった。ウユニの感想とともに、写真を見せてもらう。スゲー綺麗だったといって感激していた。旅行会社もティエラママに聞いたところだったらしいので、早速我々はブッキングに出かける。

水が本当に無く、道はホコリっぽい。

Plaza de Armas.

Main street.

先ずは昼飯。ということで、ティエラママに聞いたレストランへと向かう。が、そのレストランは全然分からなかった。というか、地図上の場所に無い。carisはオムレツ、私はピザ。結構重い。すると、なにやら演奏が始まり、チップを集めに来たのでごく僅か入れてあげる。後から調べるとこの店は歩き方に載っていた。

次に、自分のサンダルを探しに行く。博物館の位置を確認して、近くの商店に入るとサンダルがあった。ずいぶんホコリをかぶっていたので、値下げ交渉。すると50CLP負けてくれた。元値が300CLPだったので、割り引かなくても安かったのだが。

次はTur Busのオフィスへ行く。こんなところでも普通にオンライン端末が入っていた。丁度良さそうな時間のバスはサロン・カマである。要するに、来るときに乗ってきたバスよりさらにグレードの高いバスなわけだ。席選び画面を見せてもらうと、3列シート。バスはオフィスの前から出るとのこと。

標高が高くて、喉も渇いたので、コーラの瓶を買って飲む。で、博物館へ向かう。学割が使えて1000CLPの入場料。説明は全部スペイン語。ミイラがたくさんあった。乾燥しているから、結構な状態で残っているんだなぁ。空気が薄くて激しく疲れているので適当に見て帰る。

そしてティエラママに聞いた旅行会社に行くと、お姉ちゃんが一人説明を受けていた。このお姉ちゃんは日本人だった。とりあえず行程をざっと店員ではなくこのお姉ちゃんがしてくれた。日本語で聞けてかなりラク。一人100USDだという。3泊4日で全部の食事コミコミなのでかなりリーズナブルだといっても良いかも。まぁ、他の会社に行くつもりもあまり無かったので、明日出発で予約取れるか聞いてみると、どこかへ電話して聞いてくれた。OKだという。そこで迷っていたお姉ちゃんはCLPが余っているから、もう少しここに滞在したいみたいだ。お姉ちゃんウユニからボリビア国内を北上するから、もうチリには帰ってこないんだと。自分とcarisは明日行きましょうよーとしつこくすすめ、お姉ちゃんも明日出発で決定した。この時点で、同じ車で移動できると思いこんでいたので、「じゃ明日からよろしくー」ということで、お姉ちゃんと別れる。ちなみにお姉ちゃんは1月から旅行を続けている純粋なバックパッカーである。

その後、ボリビアのお金ボリビアーノが少々必要とのことなので、両替をする。後から分かるのだが、この辺りはどこも統一レート。5000CLPが50BOBになった。なぜか、ボリビアのお金をボリバーとか呼ぶ我々。

ネットカフェもあるので、明日からメールチェック出来ないから立ち寄る。しかし、こんな標高の高いチリの山奥でもネットが出来るということに感心する。その後、でっかい水のボトルを買って、特に夕飯も食べずに寝る。夜方、おばちゃんが宿泊費を集めにきた。5000CLP/泊。そして綺麗に畳まれた洗濯物を受け取る。

 

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