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NY・チリ・ボリビア12日目 2005/03/18

To Uyuni (The 1st day of the Bolivia 4day-tour)

○起床

朝起きて出発の準備。朝もホットシャワー。とはいえ、こんな砂漠の真ん中でどこから水を引いてきているのか非常に気になる。が、それは謎のまま。今日からボリビア4日間ツアーに参加である。ツアーは0800に迎えにきてくれるとのことだったので、玄関の前で待つ。我々の宿からもう一人のお姉ちゃんも旅立つ模様だ。カリフォルニアからの彼女も同一行程なのか?それから、途中の宿でフランス人夫妻を乗せ、我々は連れて行かれる。昨日の日本人の姉ちゃんは乗ってこない。ん?

○チリ出国!

フランス人の夫妻もカリフォルニアの姉ちゃんもスペイン語話せたりする。そんなプレッシャーを感じつつ、我々を乗せたヒュンダイのワゴンはチリの出入国管理所に到着。フォーマットにパスポート番号とか記入して、しばし車内で待つことに。周囲にはツアーに参加すると思われる客や、国際バスなどがたくさん止まっていた。やがて、車を降りるように言われ、出国手続きの列に並ぶ。出国手続きの窓口はたった一つ。国際バスの乗客が群がっていた。車ごとに手続きをやっているので、案外秩序だって手続きが進んでいた。列の後方には昨日の日本人の姉ちゃんもいた。迎えの車が別だった模様だ。

出国手続きのカウンターには、オンライン端末はあったものの、スキャナの類はなかったので全ての項目が手入力。これで結構時間を費やしているみたいだ。そんなこんなで幾分時間を食ったけれども、これは想定の範囲内らしい。チリ出国してしまって、何処の国にいるのか分からないような状態になって、再び車に乗ってひた走る。高度をグイグイ上げていく。車内に流れているやけにハイテンションの音楽に乗って次第にボリビアへと近づいていく。

途中、一カ所で写真を撮るような休憩があって、そこでは、遊牧みたいな人が、リャマだかなんだかを放し飼いにしていた。そのうち、舗装道路で無くなったと思うと、ボリビアゲートがあって、小さな小屋の前で車は止まった。ここがボリビアの出入国の事務所らしい。入国カードがそこで配られて、提出用以外の枠は後でうめといてみたいなノリで何も質問も無しに入国スタンプを捺してくれた。日本語でアミーゴを何というのかみたいな会話がある。適当な入国審査だった。

Immigration office of Bolivia.

○ランクルで激走

ここで、フランス人の夫妻と別れ、我々は別のランクルに乗り換える。カリフォルニアの姉ちゃんとも別になってしまった。ランクルの屋根にバックパックをのっけて、身の回りの品物だけランクルで少し走ったあと、朝食場所に到着。テーブルの上にパンやらジャムやらバターやら適当に並べられていて、いろんなランクルの人達と一緒に立ち話しながら朝食である。例の日本人のねーちゃんもここで合流。でも違う車だねーということ。そのうち、ドライバーが呼びに来たので車に戻る。

車の人はイスラエル人の女2人、体格がなかなか良い2人だ。それと、オランダ人の男とその連れのコロンビア人の女である。そして我々日本人2人だ。コロンビアの姉ちゃんは高山病がひどそうで、薬を飲んでいた。出発時点で我々は特段何の問題もない。高山病なんて関係の無い世界だったのか。とこの時点では余裕。スタッフ(?)はドライバーとその娘らしき女の子。我々以外の4人は既にウユニ塩湖とか一連の行程を終了し、あとはウユニへ戻るだけとのこと。

ランクルは天井に水タンクが積んであって、そこからホースでボンネットの中に水が行くようになっていた。途中、その水の調子が悪くなったらしく、何度か運転停車する。そういうときは格好の写真撮影タイムだ。とはいっても、ランクルが本当にブッ壊れてしまったら、助けを呼ぶ術が全くない。そして、一番感心するのが、ドライバーが良く道を覚えているなということ。回りにランドマークが何もないような場所で砂漠のど真ん中の分かれ道を迷わずに進んでいっていた。

Pit stop.

道なんだけど道じゃないような激しい揺れの中、サミットを越えて、後は下り坂。辺りに何もないトコロをずっと走っていく。…といきなり村が現れた。車はその一角に停車した。昼食タイムだ。昼食には、キュウリとトマトのスライス、あとはマヨネーズとかケチャップとかいろいろあって、パンに挟んで勝手にサンドイッチである。そして、炭酸入りオレンジジュース。もうぬるくなっちゃっているんだけど、これがなかなかうまい。イスラエル人の姉ちゃんと話す。というのも、イスラエルのねーちゃん達はデジカメを買おうと思っているらしく、日本製品を高く評価しているようだった。どこのメーカが良いのかとか聞いてくるから、もちろん自分の持っていたPanasonicいいよー。と勧める。400USDくらいするよーと言うと、ラパスまで言ったら買おう!とか言っている。ねーちゃんたちパワフルだ。

この村にはかつて飛行機が墜落したという。その残骸が食事をとったところの脇にあった。なかなかシリアスな光景だった。墜落した山には、機体の一部がまだ引っかかっていた。オランダ人の話しによると、ボリビア空軍の飛行機で、事故による死者はいなかったそうである。いつ落ちた飛行機かしらないが、生々しく状況が残っていた。

昼食の片づけをしてくれていたドライバーの娘に、グラシアス!と御礼を言うと、笑顔でなにか返してきた。

There are debris of a crashed plane in this small village.

再びランクルは激走体勢に入る。砂漠の道をずっとずっと走っていく。本当にこの先ウユニがあるのかが心配になってくる。というくらい辺りに何もない。と思ったら、いきなり村が現れたりして驚く。途中、建設中らしい空港が登場。その脇をかすめ、とある村に到着。ここで休憩らしい。ランクルへの水の補給があるらしい。

とても小さな村。村の中心には広場があり、子供が何人か遊んでいた。「Hola!」と声をかけると元気に反応が返ってきて楽しい。毎日こんな屋外で遊んでいて、健康的だなぁと感じる。スペイン語で何か言っていたけど全然分からなかったので、自分を指さしながら、「ハポン、ハポン」と全然知的じゃない会話。少年も「ハポン!」と反応してくれたので、なんとか通じているらしい。こういう小さな出来事は楽しくて仕方がない。でも、オランダ人は少年と何か話していたので、ちょっとうらやましい。同行のオランダ人はスペイン語が話せるのだった。

There is a boy under really blue sky.

○夕方になり…

再び出発した我々は結構飽きてきていた。でも、良い道が建設中だ。暑い外では、たくさんのトラックやブルドーザが動いていた。なんでも、空港までのハイウェイを造っているということだった。もう殆ど出来ているのにまだ開通しておらず、脇の激しく凹凸のある道を走っていく。もうヘロヘロ。

すると、窓の外には幼稚園バスが。…ん?よく考えてみるとココはボリビアである。日本は地球の裏側である。よく見ると、日本語の書かれたバスが何台か止まっていた。作業員の通勤用に使っているのだと思うが、日本の中古車がそのまま輸出されてそのままの形でコチラで使われているのだ。不思議な光景だった。

そのうち、出来たハイウェイを走ることができる区間となり、時速80キロくらいでランクルが飛ばし始めた。太陽が落ち、辺りは一気に暗くなった。すると遠くに灯りが見える。おそらくウユニの灯り。一挙に安心感が出る。ウユニの街へ曲がる道をちょっと通り過ぎちゃったみたいで、バックで戻った後、次第に街が近づいてくる。

○ウユニで途方に暮れそうになる

すると、君たちはウユニでどうするんだねと同行者が言う。ん?そんなの知るか。こっちはあくまでツアーに参加しているという建前だ。これからどうすれば良いかなどドライバーが知っている…なに!知らないと!!

ツアー参加の証は、carisが持っているレシートの紙切れ1枚。我々はスペイン語分からないので、オランダ人に通訳してもらう。明日どうなるか、ウユニで取り残されたとすればそれはそれで面白そうだし(塩湖には行けなくなるけど)まぁイイやみたいな感じでいたのだが、carisが必死でやりとりしてくれたおかげで何とかなりそうな感じになった。実際に、ランクルがとあるホテルの前に止まり、荷物を下ろし始めた。そこに、現地のおっちゃんが一人いた。この人が何とかしてくれるらしい。

最後の最後で迷惑をかけた同行者と別れの挨拶をして、そのおっちゃんについていく。

ホテルの一室に通され、明日の出発時刻を指さし会話帳をつかって尋ねる。10:00に迎えが来るそうだ。結構遅いな。そして、これから夕食を食べに行くらしい。鍵をかけておっちゃんに付いていく。こんなときスペイン語はなせるといろいろと聞けるのだが、会話はずっと無くとあるレストランに到着。パスタを注文したところで、おっちゃんは帰るそうな。メニューが読めなかったので、サッパリしたパスタ来い!と祈りつつ注文したパスタはカルボナーラ。ウユニでカルボナーラ食べることになるとは…。そしてここでイマイチ食欲が無いことに気づく。高山病なのか?!結局完食出来なかった。

帰りがけ、水を買って帰る。到着すると頭が痛い。痛い。高山病だ。carisもそんなような状況だったので頭痛薬を飲んでさっさと寝る。でも高山病は寝るとひどくなるらしいけど…。

 

翌日へ

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