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NY・チリ・ボリビア15日目 2005/03/21

Hot Spring and Back to Chile (The Last day of the Bolivia 4day-tour)

 

○朝から頭痛

何とか起きた。carisの容態はそんなに変わらず。とは言っても出発しない訳にはいかないので、出発。車に荷物を積み込み予定通り4時に出発。というか辺りは激寒。

他にも何台かのジープが見えたが、実は我々のドライバーは凄かった。本当に道のカーブやらなにやらの形状を全て覚えているんじゃないかというくらいスゴイ勢いで飛ばしていく。他のジープをどんどん抜かしていく。ものすごい勢いで、湯気がたくさん立ち上るポイントに到着。

Hot Spring

まさに地球が生きていると実感できるような場所で、地面から湯気が噴きだしていたり、地面の泥が沸騰していたりとそういう場所だった。全くスゴイ場所だったが、頭痛と寒さのつらさはそれを超越していた。そんなこんなでジープ出発。

○ホットスプリング

辺りもだんだんと明るくなっていき、ラグーンの水面には霞かかった光景となる。単に気温が低いというだけでなく、温泉が涌きだしているからだろうと思う。そのウチの一カ所に車が止まり、ドライバーが一つの水たまりに案内してくれる。ここが温泉である。手を入れてみると確かに温かい。早速、RusselとPabroは温泉に浸かり始め、寒さのために上がったときに悲惨だといって迷っていた女性3人もそのうち下着になって一緒に浸かり始めた。

温泉が無事終了し、青空の下、全裸でごっつ寒いと言いながら着替えをしているRussel達。車に戻ると朝食が準備されていた!

我々のランクルの上にはずっとガスボンベが積まれているのには気づいていたのだが、今回そのガスボンベを使ってお湯を沸かしてくれていた。湖畔で飲む紅茶(リプトン)は最高!後はチリ国境を目指すのみだ。

○お別れ

その後、一カ所眺めのいいところで停車して、写真。その後国立公園の管理事務所で、国立公園入園券を提示し、無効のパンチを入れてもらう。そしてボリビア国境へともどり、チリ側に入国する我々と、Pabro&Mandyはボリビアの出国手続きをする。事務所までで最後の記念撮影をし別れを惜しむ。

Chilean Border

そして、チリ側から迎えのくるさっきの国立公園の管理事務所へ行き、そこで我々とPabro&Mandyは車を降り、他の3人とお別れである。お互いにメールアドレスやHPアドレスを交換する。

3日間案内してくれたガイドのおっちゃんもここでお別れ。軍隊上がりのおっちゃんは、おっとりしつつ、しっかりしたガイドだった。チップを渡してお別れ。すると、我々を乗せてきたジープは、チリ側から来た新たな客とともにウユニの方へと去っていった。

○チリ再

4日前にのったヒュンダイのワゴンが我々を迎えにきて、国境を越え、チリ側へとどんどん標高を落としていく。体調も朝ほどは苦しくなく、イミグレに着く頃にはそれほど気にしなくても良い体調となっていた。出国はスタンプを捺すだけの手続きだったが、ここでは荷物検査がある。特に、生ものの持ち込みは厳しく取り締まっていて、一緒のワゴンに乗っていた女の子はリンゴを没収されていた。新聞紙に厳重にくるんであった、イースター島で買ってきた石のモアイも検査を受け、無事再入国完了。イミグレからアタカマの街はすぐである。

旅行代理店の前に車が止まり、荷物を下ろす。ここで、PabroとMandyとお別れ。この夫婦はとても優しい人達だった。名残惜しいが、これも一期一会。

ボリビアに行く前、同室のスイス人が勧めていたレストランに入り、スペイン語が分からないので適当に注文。したら、結構日本人好みの味付けの料理が出てきた。その後、ネットカフェに行ってメールチェック。

Lunch

Lunch

シャワーを浴びたい我々は、ティエラママのところに行ってシャワーを借りることに。ティエラママは生憎不在だったが、中庭のイスに座っているとママが帰ってきて「どうだったー?」と聞いてくれた。ウユニ塩湖のすばらしさに感動していた我々はもうティエラママに感謝である。

そして、1645のバスに乗るべく街へ向かう。昨日の夜のcarisの体調がウソのように回復しており、Calamaから飛行機に乗らないと行けないというのは杞憂に終わった。バス営業所の前にはバスが来ていた。最上級のバスは3列シートでゆったりとくつろげる。Calamaのバスターミナルを過ぎ、アントファガスタかどっかで夕食を搭載。バスのグレードは高くても、食事は同じようなものが出てきた。

旅行も残り僅かだ。

 

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